「自転車好きが高じた自転車バカが、自転車バカのためにつくったショップ」。自ら経営する自転車屋「正屋」をそう表現するのは、店主の岩崎正史さんです。27歳で自らのショップを立ち上げて以来、自転車一筋25年。けれども「正屋」は、自転車の販売・整備にとどまりません。そこには、本格的なドリップコーヒーが飲めるカフェなど、自由にくつろげる空間があります。なぜ「正屋」はこのような形になったのか。岩崎さんに聞きました。
自分の呼吸とチェーンの音だけの世界
– 本日はよろしくお願いします。「正屋」、素敵なお店ですね。見て回るだけでワクワクします。
ありがとうございます。元々、倉庫だったところを改装して作りました。せっかく作るなら自分たちらしく、と思って好きなものをどんどん置いていったら、こうなりました。
– 岩崎さんが自転車にハマったきっかけを教えてください。
大学3年生のときに交通事故に遭って100針縫う大けがを負ったので、リハビリとして何か体を動かさないといけなくなったんです。子どもの頃に自転車でビュンビュンと隣町まで走ったり魚釣りに行ってたのを思い出して、「自転車がいいかもな」と。「マウンテンバイクは町でも山でもスピードが出るし、風を切りながら走れるよ」と聞いて、やんちゃな遊び方にそそられました。実際に乗ってみたらすごく楽しくて。
– 自転車に乗る楽しさって、どういうものですか?
乗っているうちに、自分の呼吸とチェーンの音しか聞こえなくなる瞬間が来るんです。最初は仕事のことなどを考えながら走っているけど、そのうち「ぜえぜえ、はあはあ」という息の音と「カラカラ」とチェーンが回る音だけになって。雪深い道を歩くときに「しんしん」と雪の降り積もる音しか聞こえない、と言いますけど、あれに近いと思います。頭が空っぽになるようで、とても気持ちいいんですよね。
– よくイメージできます。自転車にハマってすぐ、自分でお店を?
いえ、大学を卒業した後、アルバイトしながら野宿で全国を回っていました。だから自転車だけでなくアウトドア全般が好きで、マウンテンバイクだけじゃなくキャンプ用品やカヌーの道具も置いてある店で働かせてもらうことになったんです。店の人たちとみんなでキャンプに行ったり、マウンテンバイクに乗ってレースに出たり。そこからだんだんと自転車に本格的に興味が出てきて、「自分が商売として売るなら自転車だな」と。それで店を辞めて、27歳の時に自分の店を持ちました。好きなことだけして、そのまま仕事になった感じです。
ぶっ壊れるぐらい、たくさん自転車に乗ってほしい
– 自転車を扱う仕事の魅力はなんですか?
これだけ機械化された時代になっても、自転車には職人の世界が残っています。乗り手にぴったり合った自転車を提供するには、既製品を売るだけではダメなんです。その人の体格や走り方のクセに合わせてパーツを選んだり、調整したりする必要があります。少し手を加えるだけでも乗り心地がガラッと変わるし、それは人の手だからこそできること。いわば職人技です。答えが一つではないところにもワクワクしますね。
– そのためには、知識や経験が必要ですね
そうですね。僕の場合、プロの自転車選手のメカニック(自転車のメンテナンス)を任せてもらっていた経験が、大きく役立っています。TREKというワークスチームのメカニックとチームマネージャー(監督)も、数年ほどやっていました。選手それぞれの体格や走り方だけでなく、フィーリングやバイオリズムによって「その人に合っている自転車」は変わるので、どこに正解があるか、わかりません。でも、それを求めて調整するのはやりがいがありましたね。TREKのチームは、僕が関わっていた時代に全日本大会でも優勝もしました。あれは嬉しかったなあ〜。
– オリジナルのブランドもあると聞きました。
respirare(レスピラーレ)というブランドです。イタリア語で「呼吸」の意味で、「呼吸をするように自転車と一体になってほしい」という思いを込めています。これも人に合わせて自転車の三角形の長さや、フレームにまでこだわった調整ができるようにしています。
– 展開が多彩ですね。
他に、メッセンジャーの仕事もしてました。最初の店は、日赤通りにある13坪ぐらいの小さい店だったんですけど、2階をメッセンジャー(書類、荷物を運ぶ自転車便)の事務所にしていたので、仕事の依頼があるたびに誰かが階段を駆け下りていくにぎやかなところでした。
僕自身も、メッセンジャーとしてよく街を走っていました。「大変じゃない?」と言われるんですけど、目的があるライドは、すごく燃えます。ただただ、自転車が好きなんですよ。
– もう、眺めているだけでお酒が飲める感じですか。
はは、そうかもしれませんね。お客さんが大会に出場する前の、大事な自転車の組み立てや調整などを任せていただくのですが、そんな時は店の営業終了後に、みんなが帰ってから一人でじっくりやります。好きな音楽を大きな音でかけながら、納得いくまで自転車をチューニングする。最高の時間ですよ。
– でも、商売として続けるには、「好き」だけでは済まない難しさもあるのでは?
ん〜、どうでしょう。僕らが考えているのは、お客さんにとことん自転車を好きになってもらう、というシンプルなことです。そうすれば、店に来てもらえる用事も増えるし、備品の購入や修理などの仕事にも繋がるし。自転車がぶっこわれるぐらい、たくさん走って、楽しんでほしいですね。もし直せないくらい壊れてしまったら、ウチがいい物をご用意しますから(笑)
「楽しい」が見つかる店
– お話を伺っていると、岩崎さんの幅広い経歴が、そのままお店に反映されているように感じました。
僕自身が、好きな店やよく行く店が、決まっているタイプなんです。居酒屋でもショップでも、「あそこにいけば知っている人がいる」という、距離感や居心地のよさ。そういうのを求めているから、自分の店もそうしたくて。だからカフェも作ったんです。
– カフェはどんなきっかけで始めたんですか?
お客さんたちが、ライドの後に自販機で缶コーヒーを買って話している光景をよく見ていて、「それならウチでうまいコーヒーを出そうかな」と。空き缶ゴミが散乱するのは嫌だったし、でも「店の前にたむろするのは禁止」とするのも違うなと思って。だからこういう形で解決できてよかったです。お客さんのマナーも良くなったし、自転車と関係なく、カフェ利用してくれる人も増えました。
– とてもいい方法ですね。
今マナーの話が出ましたが、自転車に乗る人のマナーについてはどう思っていますか?
法律で自転車が歩道を走ってもいいとされていることで、混乱が生じている問題はありますね。ただ、現状のままでも、乗り手側のマナーはもっと向上できると思います。自転車だから逆走してもいいとか、ちょっとそこに停めるくらいならいいとか、お酒を飲んで乗ってもいいとか。そういう、自分都合の考えを変えて、お互いが配慮しあう生活スタイルにステップしないと自転車にやさしい社会にはなって行かないですよね。
– 確かに。
ウチの会社の法人名は、「自転車で楽しく暮らす」から「ジラボ」(自楽暮)というのですが、それを体現できる社会になるように、ひとつずつクリアしていけたらいいですね。
– 今後、「正屋」をどのようにしていきたいですか?
訪れる人それぞれの人生にとって、必要なものを感じてもらえる場所にしたいですね。皆がずっと自転車にだけ興味を持っていなくてもいいと思うんです。自転車好きが、キャンプを好きになってもいいし。うちはハンモックも売っているし、カフェもある。僕も個人的に好きなスケボーやラジコンの話で盛り上がることもあります。この店で、来てくれた人の人生がより楽しくなるなら、そんなに嬉しいことはないですね。
そのためにも、僕ら自身が楽しいことが大事。だから、あんまり気張りすぎないように、やろうと思ってます。僕は今、水曜日から日曜日まで自転車のことばかり考えながら働いて、月曜日の夜に自転車で山に行って、ハンモックで寝るという生活をしています。いろんなことから距離を置いて、静かに過ごせる時間が嬉しいですね。
– その生活、憧れます! 本日はありがとうございました。
[取材を終えて]
自転車屋さんは、自転車の購入や修理をしに行くところ。そう思い込んでいましたが、「正屋」に行ってみて、これは自転車を中心としたコミュニティのお店なのだと感じました。自転車チームの監督やメッセンジャーなど、いろんな角度から自転車に関わってきた岩崎さんだからこそ、自転車乗りに愛される店になっているのでしょう。落ち着いた語り口ながら、岩崎さんの自転車への情熱を感じた取材でした。
岩崎正史(いわさき・まさふみ)さん
株式会社ジラボ代表。自転車屋「正屋」店主。1968年、福岡県生まれ。大学3年生のときに、大けがを負ったことをきっかけにマウンテンバイクと出会う。24歳から2年間、アウトドアショップで自転車販売を経験。27歳で独立し、自分の店を持つ。自転車販売、整備を行う傍ら九州でのレースの主催や、プロチームの監督、メッセンジャーなどさまざまな形で自転車と競技者にかかわる。2007年に株式会社ジラボを設立。2011年に、現在の南区塩原に「正屋」を移転オープン。カフェスペースの展開や自転車川柳イベントの開催など、自転車販売・整備にとどまらない店づくりを行っている。
正屋|https://www.masaya.com/